「安すぎる」のに値上げ交渉が進まない理由
先日、ある製造業のお客様から現場改善のシステムに関するご相談をお受けし、商談が一段落した際のことです。社長から「実は、もう一つ緊急で相談したいことがあるんです」と切り出されました。
その会社では、本業の製造業とは別に、業務用機器の設置やメンテナンスを行う別会社も運営されています。
現場スタッフは朝事務所を出発し、1日に何件かの現場を回ります。事務所からすぐ近い場所を何件も回れる日もあれば、遠方の現場で移動だけで往復数時間かかる日もあります。また、作業内容によっては途中で別のスタッフと合流し、2人で対応することもあります。
しかし、現在の出張料や作業料の料金体系には、こうした現場の実態が十分に反映されていませんでした。近場であれば短時間で件数をこなせるため採算が合いますが、遠方への移動や2人作業が増えると明らかに手残りが減ってしまいます。
社長の感覚としても「今の料金体系は明らかに安すぎる」という強い危機感がありました。そこで取引先に料金改定の交渉を持ちかけたものの、大きな壁にぶつかっていました。
「安すぎる」「採算が合わない」という現場の感覚はあるものの、それを客観的に証明するデータが自社の手元に一切なかったのです。
仕事の記録はあるのに、自社で集計できない
実は、現場スタッフは毎日、作業内容を手書きの日報に記録していました。しかし、その日報は現場で取引先へ手渡しされ、取引先側のシステムに入力されていたのです。
つまり、仕事の履歴そのものはどこかに存在しているものの、自社で自由にデータをダウンロードしたり集計したりできる状態ではありませんでした。
- 遠方への訪問案件は月に何件発生しているのか
- 平均の移動距離や移動時間はどのくらいか
- 2人作業が発生する頻度や現場の種類はどうなっているか
- 作業時間と移動時間の比率はどうなっているか
こうした数字を自社で把握できていないため、取引先に「現場が大変なんです」「赤字なんです」と定性的な訴えをするしかありません。しかし、取引先からすれば「具体的にどれくらい大変で、いくらが適正なのか」を客観的に判断しようがなく、交渉はそこで止まってしまっていました。
アプリを作る前に「交渉の論点」を決める
社長は「手書きの日報の訪問先データから移動距離を読み取って、地図データと照らし合わせて距離や移動時間を計算できないか」と考えていらっしゃいました。
移動にどれだけの時間とコストがかかっているかを数ヶ月分集計できれば、「遠方案件では平均してこれだけの移動負担が発生している」と数字で示せます。また作業内容と作業人数の関係を分析できれば、特定作業における2人体制の必要性も論理的に説明できます。
このご相談をお聞きしたとき、私は非常に重要なポイントが含まれていると感じました。これは単なる「日報のデジタル化」や「ペーパーレス化」の話ではないということです。
日報をスマートフォンから入力できるようにしたり、紙の日報をOCR(文字認識)で読み取ったりする技術自体はいくらでも存在します。しかし、今回の本当の目的は「日報を綺麗に整えること」ではなく、「値上げ交渉に必要な根拠(エビデンス)を作ること」です。
システムやアプリを作る前に、まずやるべきことがあります。それは「相手に何を示せば、料金改定に納得してもらえるのか」という交渉の論点を決めることです。
必要な数字を定義し、あるもので証明する
料金改定の論点によって、集めるべきデータは変わります。
- 移動距離に応じた料金体系にしたい場合:案件ごとの移動距離と件数の分布データが必要
- 2人作業の加算料金を設けたい場合:2人作業が必要だった案件の種類・頻度・理由が必要
- 長時間移動に対する最低保証料金を求める場合:移動時間と実作業時間の比率データが必要
先に「どのような条件で交渉するのか」という論点を決め、その論点を証明するために必要な数字を定義する。データを集めるのは、その後の手順です。
「手元にあるデータを適当に集めてみる」のではなく、「何を変えたいのか」「そのために何の数字が必要で、その数字はどこにあるのか」を整理することが先決です。
取引先のシステムからデータを出してもらえるのか、手書き日報の控えから拾い出すのか、あるいはこれから一定期間だけ新しい記録方法を試すのか。順番を間違えないことが大切です。
DXの本質は「自社の価格と利益を守ること」
社長は取引先に対して「システムに入っている出張データを提供してもらえないか」と確認を進められていました。
仮にデータを提供してもらえたとしても、そのまま交渉資料として使えるとは限りません。日付、訪問先、作業内容、作業人数、移動時間、実作業時間など、交渉に必要な項目が揃っているかを確かめる必要があります。
データが不足していれば手書き日報の控えや地図情報で補い、それでも足りなければ今後の現場記録の付け方を一時的に変更する。システムやアプリの開発という話に出てくるのは、本来はこの段階になってからです。
今回の相談を通じて、私は中小企業におけるデータ活用の意味を改めて実感しました。
中小企業にとってのデータは、単に「作業を楽にする」「業務を効率化する」ためだけのツールではありません。自社の仕事の価値を数字で説明し、適正な価格と利益を守るための武器なのです。
自社がどれだけのコストや時間をかけて仕事をしているのか、どの案件で利益が出てどの案件で赤字になっているのか。これを数字で示せないと、取引先から提示された料金条件をそのまま受け入れるしかなくなってしまいます。
特に、主要な取引先が数社に偏っているビジネスでは、価格交渉力の差が開きがちです。だからこそ「自分たちの仕事のデータを誰が握り、分析できる状態になっているか」が経営において決定的に重要になります。
まずは表計算ソフトから始めればいい
社長からは「自分たちでできるやり方があれば教えてほしい」とも言われました。
私としても、何でもすぐに高額なシステム開発をおすすめするのが正解だとは思っていません。
まず必要なデータを定義し、手元にある既存データでどこまで計算できるかを確認する。ExcelやGoogleスプレッドシートなどの表計算ソフトで十分に分析できるのであれば、最初はそれを使って交渉資料を作成すれば良いのです。
その上で、今後も継続的にデータを蓄積・分析する必要があり、手作業での集計が限界を迎えたときに初めてシステムの導入やアプリ化を検討すれば十分です。
データ活用やDXと聞くと、「AI分析」や「高度な売上予測」といった大がかりな取り組みを連想されるかもしれません。しかし、中小企業が最初にやるべきことは、もっと地道で現実的なことです。
自社がどこに時間を費やし、どこでコストを負担し、どの仕事で利益を取りこぼしているのかを可視化すること。
DXとは単に現場の作業を効率化するだけでなく、自社の提供している価値を正しく説明し、会社と社員の利益を守るための基盤づくりでもあります。
CloudLabは京都・亀岡を拠点に、中小企業のIT活用・AI導入・ホームページ制作を支援しています。お気軽にご相談ください。
この記事の内容はYouTubeでも話しています。
動画を見る →