「AIによってこれまでの仕事がなくなっても、技術革新の歴史と同じように、また新しい仕事が生まれるはずだ」
AIをめぐる議論で、私たちはこうした前向きな言葉をよく耳にします。過去の産業革命でも、農業の機械化によって工場労働が生まれ、工場の自動化によってサービス業が広がってきました。だから今回も過度に恐れる必要はない、という見方です。
しかし、かつてパーソナルコンピュータを世界中に広げたマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは、米ジャーナリストのエズラ・クライン氏との対談のなかで、その楽観的な見通しに静かで重い問いを投げかけています。
彼が持ち出したのは、「長持ちするタイヤ」のたとえや、「55歳のトラック運転手」という極めて具体的な生身の人間の姿でした。私自身、50代で起業し、京都・亀岡で中小企業の現場に入りながらITやAIの活用をお手伝いしている立場として、この対談で交わされた論点には深く考えさせられるものがありました。
タイヤが4倍長持ちしたら、人は4倍走るのか
対談の中で、司会者はよくある反論を提示します。「AIによって作業が安く早くできるようになれば、これまでコストの都合で頼めなかった層が利用するようになり、全体の需要が増えて新しい仕事も増えるのではないか」という意見です。例えば、小さな会社でも安くアプリを開発できるようになれば、開発需要が跳ね上がり、エンジニアの仕事も増えるという考え方です。
これに対し、ゲイツは人間にしかできない役割が残っている間はその通りだと認めつつ、次のようなたとえを出しました。
「タイヤが4倍長持ちするようになったら、人は4倍走るだろうか?」
タイヤを交換しなくてよくなったからといって、毎日の通勤距離を4倍にする人はいません。丈夫で長持ちするタイヤは消費者にとってはありがたいものですが、交換用のタイヤを製造・販売する仕事にとっては、確実に需要が縮小する力が働きます。
つまり、「安く便利になれば需要が増える」というのは、あらゆる仕事に当てはまるわけではありません。倉庫作業がロボットでどれほど効率化されコストが下がったとしても、人々が何倍も買い物を増やすとは限らないのと同じです。
注文が100件から300件になっても、人の給料は増えない?
さらにゲイツは、仮に需要が大きく増えたとしても別の壁があると指摘します。その増えた仕事を、AIが最初から最後までこなせるようになったらどうなるか、という点です。
たとえば、ある業務の注文が月間100件から300件に増えたとします。1件ごとに人間の手作業が必要であれば、会社は人を新たに雇う必要があります。しかし、300件すべてをAIツールが自動で処理できるとしたらどうでしょうか。
会社が支払うのは、AIサービスの月額利用料やAPIの従量課金だけです。業務量は3倍に膨らんでも、人間の雇用は増えず、人件費として地域に還元されることもありません。
私自身、日々の業務でプログラミングやシステム構築を行っており、AIの支援によって作業スピードが劇的に上がる恩恵を身をもって実感しています。しかし同時に、かつてはお客様から相談されていたような小さな作業が、「自社のAIで完結できるから頼む必要がなくなった」と変化していく可能性も肌で感じています。
生産性が上がることと、人間の仕事が増えること。この二つの間には、「お客様が誰に(何に)対価を支払うのか」という根本的な問題が存在しています。
「55歳の運転手」に、次の道筋は用意されているのか
「知的労働がAIに置き換わっても、パーソナルトレーナーや料理人、介護など、人と人とのぬくもりが必要な対面サービスにシフトしていけばいい」という意見もあります。経済が豊かになるほど、人に直接関わってほしいというニーズは増えるはずだ、という見解です。
これに対しても、ゲイツは踏み込んだ疑問を口にします。
「仕事を失った55歳のトラック運転手に、『これからは人間関係に関わる仕事(対人サービスなど)をしてください』と言うとして、そのための現実的な道筋は用意できているのか?」
マクロ経済の数字の上で「10年後に新しい産業が生まれて雇用が吸収される」ということと、いま現場でハンドルを握っている55歳の人が明日からの生活を維持できるかは、まったく別の話です。
新しい職種に就くための訓練には何年かかるのか。その間の生活費はどう手当てするのか。そもそも、自分が長年暮らしてきた地方の町にその仕事があるのか。「いつか新しい仕事が生まれる」という言葉の陰で、その「いつか」が訪れるまでの日々の暮らしを支えなければならないのは、生身の個人です。
技術の進化があまりにも急速であるため、人間側の生活の再設計や地域の受け皿が追いつかないリスクを、ゲイツは強く懸念しています。
「Human Reserved」——人間の仕事をあえて残すという発想
こうした課題に対し、対談の中でゲイツが語った制度的な提案が2つあります。
1つは、AIやロボットへの課税です。人間が働くと給与から税金や社会保障費が納められ、社会基盤を支えています。人間をAIや機械に置き換えた際、同じ仕事をこなしているのに社会保障を支える負担だけが免除されていいのか、という議論です。AIの導入コストに一定の社会的負担を組み込めば、過度なスピードでの人員削減にブレーキをかけることにもつながります。
そしてもう1つが、「Human Reserved(人間のための保護区)」という考え方です。
子どもの保育、高齢者のケア、教育や医療の特定分野など、たとえAIで効率化できたとしても「ここは人間の仕事としてあらかじめ残しておく」と社会的に決めておく領域のことです。
司会者はこれを「自然保護区」にたとえました。道路やビルを建てられる平地であっても、一度壊したら取り返しのつかない価値があるからこそ、あえて開発せずに森を残す。それと同じように、人間が働く場所を純粋な効率の競争から切り離し、あえて保護するという発想です。
「人間にしかできない仕事」から「人間にやってほしい仕事」へ
私はこの話を聞いたとき、これまでの「AIと仕事」の議論が一歩先へ進んだように感じました。
これまでは、「AIに負けない、人間にしかできない能力は何か」を探す競争のような議論が主流でした。しかしゲイツの提案は、「社会として、人間に残したい仕事はどれか」という合意形成の話をしています。
たとえば、介護の現場でAIやセンサーを使えば見守りは効率化できます。しかし、「お年寄りの話をじっくり時間をかけて聞く相手」は、やはり人間にいてほしい。そう望むのであれば、その時間にきちんとした対価が支払われる仕組みを整えなければなりません。
「人間にしかできないから残る仕事」ではなく、「人間にしてほしいから、あえて残す仕事」。
地方で暮らしていると、効率だけを追い求めて消えてしまった商店街や地域行事の寂しさを痛感することがあります。AIという圧倒的な効率化の波が押し寄せる今だからこそ、自社の業務のなかで「効率化すべき部分」と「あえて人が手間をかけるべき部分」を丁寧に切り分ける視点が、私たち中小企業経営者にも求められているのではないでしょうか。
皆さんの仕事の中で、仮にAIが全部こなせるようになったとしても、「人間に残したい」と思える部分はどこにあるでしょうか。それを考えることが、AI時代における自社の存在価値を見つめ直す第一歩になるのだと思います。
CloudLabは京都・亀岡を拠点に、中小企業のIT活用・AI導入・ホームページ制作を支援しています。日々の業務改善からツールの試作まで、現場のペースに合わせて伴走いたします。お気軽にご相談ください。
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