朝起きて、昨日の出来事をやり直せたらいいのに——そう思った経験は誰にでもあるはずです。うっかり送ってしまった失礼なメール、口をついて出た余計な一言、あるいは判断を誤った仕入れや投資。昨日に戻ってやり直せるなら、どれほど楽だろうと考えたくなります。
しかし、もし「眠るたびに前日に戻る」としたらどうでしょうか。あなたが水曜日へ進む朝、その人は月曜日へ戻っていく。つまり、周囲にとっての未来が、その人にとってはすでに体験済みの「記憶」になっている状態です。
今回は、イギリスの約15分の短編映画『Laura Living Backwards(時間を逆行して生きるローラ)』という作品の設定を手がかりに、未来を知ることの意外な弱点と、現代のAIによる「未来予測」、そして私たちが日々下している意思決定の本質について考えてみたいと思います。
なぜ彼女は銀行を襲い、逃げずにお茶を飲んでいたのか
物語は奇妙な場面から始まります。ある女性(ローラ)が銀行強盗に入り、金を奪います。ところが支店長に非常ベルを鳴らされても逃げようとしません。それどころか、お茶を淹れて新聞を読みながら、警察が到着するのを平然と待っているのです。
なぜそんな行動をとったのか。理由は彼女の特殊な境遇にあります。
彼女は毎朝、1日前の日付に目覚めます。今日が5月14日なら、明日の朝は5月13日、その次は12日です。彼女の記憶の中では、本来その銀行で凶悪な強盗事件が起き、刑事を含む2名が射殺されるはずでした。彼女はお金が欲しくて襲ったのではなく、先に自分が強盗として捕まることで事件そのものを発生させず、人の命を救おうとしたのです。
この設定を聞くと、未来を記憶している彼女は無敵の予知能力者のように思えます。事故も事件も先回りして防ぐことができるはずです。
しかし、ここには決定的な欠落があります。彼女は「自分が変えた後の未来」を見に行くことができません。
予測が介入した瞬間、知っていたはずの未来はズレていく
彼女の境遇を、少し身近な思考実験に置き換えてみます。
例えば、明日ある交差点で知り合いが事故に遭うと知っているとします。あなたは今日その人に会い、「明日は別の道を通ったほうがいい」と忠告します。その人は忠告に従い、事故を免れるかもしれません。
けれど、別の道を通ったその人に何が起きるかを、あなたは知りません。
大切なのは、あなたが持っている記憶は「あなたの忠告を受ける前の世界」のものだという点です。あなたが口を出した瞬間に、相手の行動が変わり、出会う人も到着時刻も変わります。あなたが知っていた未来と、現実に動き出した未来のあいだにズレが生じ始めるのです。
普通の時間軸で生きている私たちなら、翌日を待つことができます。「教えてくれたおかげで助かったよ」という連絡を受け取れば、自分の判断が正しかったと確かめられます。しかし、時間を逆行して生きる人には、その連絡を受け取る「明日」が永遠に来ません。
未来を記憶しているのに、自分が手を入れた結果は分からない。介入した瞬間に、自分が持っていた確実な未来の地図が使えなくなってしまうのです。
AIの未来予測における「パフォーマティブ・プレディクション」
この構造は、現代のAIによるデータ分析や未来予測の議論にも深く通じています。
AIは過去の大量のデータをもとに「これから何が起きるか」を高精度に予測します。そして人間は、その予測を参考にして行動を決めます。しかし、強い予測が出され、人々がそれをもとに行動を変えると、予測された対象そのものが変質してしまうという現象が起きます。
分かりやすいのがカーナビの渋滞予測です。「この道が空いています」とナビが案内を出したとします。1台だけなら快適に走れるでしょう。しかし、同じ案内を何百台もの車が同時に受け取って迂回したらどうなるでしょうか。空いていたはずの道に車が殺到し、新しい大渋滞が生まれます。予測が提示されたこと自体が、予測の前提を壊してしまうのです。
機械学習の研究領域では、こうした現象を「パフォーマティブ・プレディクション(Performative Prediction)」と呼びます。予測を社会的な意思決定に使うと、その介入自体が対象に影響を及ぼすため、過去データに対する正解率が高いモデルであっても、実際に運用したときに意図した通りの成果を上げるとは限らないという問題です。
過去の傾向を正確に言い当てる能力と、自らが介入して変化した後の世界を御する能力は、まったくの別物です。
地方の中小企業の現場でも、「AIを導入すれば先が読めるようになるのではないか」「過去の売上データを分析すれば正解の手順が分かるのではないか」という期待を耳にすることがあります。しかし、どれほど高度なツールを使っても、私たちが新しい手を打った瞬間に市場や顧客の反応は変わり、過去の延長線上からは外れていきます。
私たちには「結果を見て修正できる明日」がある
では、結果を完全に予測できないのであれば、私たちは何も判断できなくなってしまうのでしょうか。
短編映画の主人公・ローラにはなく、現実を前に進んでいる私たちにある決定的な強みがあります。それは「明日、結果を確かめて軌道修正できること」です。
予測をもとに行動を起こす。当然、思った通りにいかないこともあります。しかし私たちは、翌日の現場の反応を見ることができます。顧客の表情を見て、売上の数字を見て、「少しズレたから微調整しよう」と考え直すことができる。この「試行と修正のループ」こそが、不確実な環境で事業や組織を動かしていくための唯一の現実的な手段です。
映画の監督であるケイト・フォロール氏は、作品の背景について語る中で、敬愛する映画として黒澤明監督の『生きる』を挙げています。主人公の志村喬演じる市役所の課長が、自らの余命を知ったあと、誰に感謝されるでもなく小さな公園づくりに奔走する名作です。
監督は「たとえ自分の行動の結果を最後まで見届けることができなくても、誰かのためにできることをする」という精神をこのSFに込めたと説明しています。
私たちの仕事や日常でも、すべての結果を自分の目で確かめられるわけではありません。若いスタッフに伝えた仕事の心構えが、10年後にその人を支えるかもしれない。納品したホームページや業務システムが、自分が引退したずっと後に企業の屋台骨になっているかもしれない。そのすべてを自分の生存中や在任中に確認することは不可能です。
結果をすべてコントロールし、見届けたいという欲求を手放したとき、私たちは「今日、目の前の最善に手を尽くす」という原点に立ち返ることができます。
「また明日」と言える日常の価値
もし毎朝、昨日に戻れる能力が手に入るとしたら、欲しいでしょうか。
失敗は帳消しにできるかもしれません。しかしその代わり、今日一緒に笑い合った仲間と明日続きを話すことはできなくなります。「来年もまたここに来よう」という約束を果たすこともできません。人間関係を育て、信頼を積み上げていく営みは、不確実な明日を同じ向きで一緒に迎えるからこそ成立しているのだと気づかされます。
ビジネスにおいても同じです。AIやデータによって未来を言い当てようと躍起になることよりも、確実な正解がない中で仮説を立て、一歩を踏み出し、明日の結果を見ながら泥臭く修正していく。その歩みを進められること自体が、実はとても贅沢な環境なのだと思います。
明日どうなるか分からないからこそ、私たちは今日知恵を絞り、人と話し、改善を重ねていくことができます。「分からない明日」があることは、不便ではなく、私たちが前進するための余白そのものなのかもしれません。
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